私は1999年の7月から10月の2ヶ月半の期間、英国のニューカッスルを基点に、ロンドン、スコットラ北イングランド
に位置するニューカッスルは、イギリス産業革命の発祥の地であり、日本は当時ここニューカッスルから鉄道 などの技術を学びました。
アームストロング卿の別荘には、 浮世絵などの絵画作品も 見られ、 英国と日本の 経済、産業文化 交流が深いものであった事が伺えます。現在も多くの日本人の若者が英国に旅行し、滞在し、
留学をして学んでいます。
明治維新以後、欧米の技術を取り入れて来た我が国では、美術の世界においていうならば、「絵画」と呼ばれていたものが「日本画」「洋画」というふたつの概念が出来上がりました。ただ、
絵画においても 、欧米から取り入れたものは、技術で あり、欧米の精神的支柱であるキリストの精神は取り入れず 、 精神と物質は器用に分類されてきました。現在、国際的な
日本人の作品は、 欧米の作家の手法を取り入れてはいるものの、 独創性に欠けるとの評価があります。 それを克服するのに ただ、日本の伝統を押し通せば通用するという程単純なものでもないのです。
欧米の後追いと伝統の強調はある意味、同じ事をはある意味、同じ事を意味するものだと思われます。かつて、人類が月面 に到着した時、キリスト教徒達は戸惑い、パ
ニックに陥ったといいます。神の領域へ、人間が足を踏み込んだのですから。その時にキリスト教徒の指導者達は、パニックを静める為に禅宗の総本山を訪ねたといいます。そしてその後も交流が続いていると聞いています。人が救いを求める姿は、方法は違ってもひとつであると感じます。芸術も方法こそさまざまであれ、真実を追究する事になんらかわりはありません。ただ、全てが正しいという考えは責任感の欠如であり、見て見ぬ
ふりをするのではなく、時には怒る必要もあると思います。 ただ寛容になるのではなく、問い直すという行為そのものは新しい可能性を探る事であります。異質なものに出会い、ぶつけあう事が、お互いにとって新しい可能性を見いだす行為であると信じます。その為には、まず、自分の構築した論をしっかりと持ち、自ら沸き起る感覚の揺らぎを生命力として、本質を見抜いていきたいと思います。
八月中旬にはスコットランドの首都であるエジンバラにおいて、毎年恒例である国際フェスティバルの開催中に、エジンバラ美術大学のアトリエで公開制作を行うという機会に恵まれました。スコットランドは、the
United Kingdomの一部であり、人口は五百万人で緯度的には北にありますがメキシコ湾流のおかげで気候は穏やかであり、夏はさほど暑くならず、冬もさほどは寒くなりません。独自の文化を持ち、なだらかな丘やダイナミックで変化に富んだ景色は、息を飲むほどすばらしいものであります。大学内では世界を代表する作家の作品展示が行なわれており、学生や一般人が毎日多く訪れておりました。展示室の隣にある私のアトリエは、広く、高く、無駄
がなく、窓からはスコットランドを象徴するエジンバラ城が眺められるという、心の平静と内面 的霊感を与えられるアトリエでありました。多くの人達の支えにより、無事エジンバラ美術大学に寄贈する作品も終了する事が出来ました。雨の降る日に到着した私は、まず、この街で生きる事の厳しさを
象徴するかのような、重厚などっしりと落ち着いた街並みに、伝統の誇り高さと迫力を感じました。そして人々と共に生活をし、芸術を語る中で、勇敢に立ち向かう精神を持つと同時に人情深いスコティッシュに、感銘を受けまた。芸術の基本は精神であると確信する経験でもありました。世界共通
で人々の心に「永遠なるもの」を望む所があります。「ゆるぎない」「未来永劫」これらこそが、人を本質的に豊かにします。昔から残っているものには、訴える力やささえる力の源が宿っており、
永遠につながる力を持つものが残るという事を、改めて肌で感じ、勉強致しました。それは、けして、伝統の焼き回しではなく、新しいものを受け入れるという事と両立したものであります。ここでも、発表されている芸術は、伝統を重んじたものばかりではなく、コンセプチュアルアート(観念芸術)や、コンピューターグラフィックも多く、表現方法はさまざまであります。 作品の中に何に秩序を与えて、何を削ぎ落としたかに意味があり、文化背景の差異はあっても、対等に作品を発表しあうという事に地方や都会、そして国境にこだわってはならないと思います。私自身が目指している日本画の伝統と新しいものの融合を、今後もさらに追及し、香川、東京、海外へと発表の場所を求めて精進してまいりたいと思っております。